【ブログ小説】見えない秤-夜明けのパレ・ロワイヤル│第1部 回廊の秤 第5章 父の視線が届く

この物語は、作者(Viara)がアイデアと設定を考え、AIにより作成したプロットを基に、作者とAIが協働して執筆しています。
 ※無断使用・転載は固くお断りいたします。

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全体のあらすじ

開く

 恐怖政治のさなか、パレ・ロワイヤル回廊の仕立て屋で働く青年ジャンは、地区会所に勤める父を持つ娘クレールと出会う。言葉ではなく縫い目で惹かれ合った二人の恋は、噂と視線が支配する時代の網に絡め取られていく。

 クレールの父ドゥルマは、革命の任務に誇りを抱いたまま、娘を守るために“制度の内側”で恋人たちの逃走路を開く。だがその小さな例外は「平等」の名のもとに断罪され、父はすべてを背負って断頭台へ向かう。

 自由とは、平等とは、そして愛とは何だったのか。答えは出ないまま、問いだけが夜明けの空に漂っていた。

主な登場人物

開く

ジャン(普段名)/アルマン(真名)
パレ・ロワイヤル回廊の仕立て屋で下働きをする青年。元貴族の家系である出自を隠して暮らしている。

クレール
市民を取り締まる地区会所の監視係の父を持つ。秩序を信じたいが、恋によって「正しさ」の輪郭が変わっていく。

ドゥルマ
クレールの父。地区会所の監視係(治安担当)。任務への誇りを捨てず、家庭では厳格で寡黙。

ラクロワ
地区会所の同僚で急進派。正義を「例外の排除」として理解し、平等の名で人を追い詰める。

ルノー親方
ジャンが務める仕立て屋の親方。会所の発注と巡回の気配に怯えながらも、店と職人の矜持を手放さない。

ニコラ
仕立て屋の徒弟。飢えと恐怖から口が先に動き、ジャンの「違い」を面白がって噂の火種を作る。

ブリュノー夫人
パレ・ロワイヤルの古参。過去の匂いに気づく目を持つ。

ガスパール
御者(馬車の車夫)で、門と荷車の流れを知りつくしている男。

ポワリエ夫妻
街道沿いの宿の夫婦。問いを増やさず、沈黙で匿う。

マドレーヌ
フランス南部の田舎町に住む縫い手。

前回のストーリー

第1部 回廊の秤

第5章 父の視線が届く

言えない痕跡

 朝の台所には、湯気より先に沈黙が立っていた。炉の火は小さく、鍋の底の熱もまだ浅い。窓硝子の外では霧雨が細く続き、石畳の色だけを濃くしている。クレールは水差しを傾け、指先についた冷たさを布で拭った。2階の扉の音が響き、父の靴音が降りてきた。ドゥルマは襟を整えながら台所へ入り、椅子に腰を下ろす。目の下の影は濃い。

「起きていたのか」

「はい。コーヒーを」

 クレールは沸かしたばかりのケトルからカップに湯を注ぎ入れた。ドゥルマはそれをひと口飲むと、視線を卓上へ落とした。パン屑、糸屑、薄い紙片。家の中にある小さなものを、彼は見逃さない。仕事で身についた目は、家に居ても簡単には切り替わらない。切り替わらないせいで、家の中がときどき会所の廊下であるかのような空気になる。

 ドゥルマは娘の名を呼ばず、いつものように咳払いをした。咳払いはクレールへの合図だ。彼女は一拍遅れて顔を上げた。

「何でしょう」

 返事が遅れたのは、心が別の場所にある証拠だった。別の場所がパレ・ロワイヤル回廊なのか、昨夜の庭なのか、会所の長い列なのか、父はそれを探ろうとはしない。それを知れば何か良からぬ方向へ進んで行くことを予感していた。

 糸屑が一つ、机の脇に残っていた。縫い糸ではなく、ほつれの端を切ったような細い繊維だ。クレールは慌てて指でつまみ、掌の中へ隠す。彼女の指先が出した答えを、父は黙って受け取った。

 ドゥルマは問いを連ねる男ではない。連ねれば娘が怯え、怯えは嘘を増やすだけだ。彼は会所の廊下で、嘘の上塗りがどれほどに人を落としていくかを嫌というほどに見てきた。落ちていくのは当人だけではない。周りにいる者がまとめて落ちる。

「回廊へ行く用が増えたか」

 クレールの指先が止まった。ほんの一拍。けれど父の目には、それで十分だった。止まった一拍のあいだに、娘は言い訳を探し、見つけられずに息を飲む。ドゥルマは娘の脇に置かれた手袋に見をやる。手袋の縫い目が、以前よりも整っている。母の針箱は開かれていない。針箱は父の部屋にしまってあるのだから。ならば、その縫い目は間違いなく家の外の針で縫われた跡だ。

「……配給のことで、呼び出しが」

 言葉が途切れたところで、クレールの喉が小さく鳴った。言い切らず、言い換えもせず、彼女は視線を落とす。ドゥルマは頷かなかった。だが否定もしない。黙ってカップを置くその音だけが、彼の答えの代わりだった。音が静かなほど、言葉の余白が広がる。余白は娘の胸を締めつけ、父の胸をさらに締めつける。

「出かけるときは、戸締まりを確かめるんだ」

「はい」

「窓も」

「はい」

 朝の支度を整えた父は、コートを手に取った。袖口の縫い目はきれいだ。会所の委員は、縫い目一つで量られる。量られるのは布の整いではない。整いの向こうにある忠誠と、隠された乱れだ。乱れの匂いを嗅ぎつけた者は、正義の名で刃を研ぐ。

 玄関の敷居には、昨夜の泥が乾いて薄く残っていた。巡回の靴跡と娘の小さな靴跡が、同じ泥を踏んでいる。ドゥルマは扉の横の釘に手を伸ばし、鍵束を確かめた。金具が鳴らないよう、掌で包んで持ち上げる。音を立てない癖は、会所で覚えた。音が立てば目が動き、目が動けば噂が動く。噂が動けば、人の生がいちばん弱いところから裂け始める。

ドゥルマは玄関で立ち止まり、振り返らずに言う。

「日が高いうちに戻れ」

 命令の形をしてはいても、父には、それが精いっぱいの祈りの言葉だった。

「はい」

 クレールが返事をすると、扉が静かに閉まり、父の姿は見えなくなった。彼女は糸屑を握った手をぎゅっと握りしめ、しばらく扉を見つめていた。扉の向こうの足音が消えると、胸の奥で別の音が鳴り始める。回廊の鍵束、庭の砂利、そして彼の名を飲み込んだ沈黙。それらが、彼女の呼吸を縫い合わせていく。自分がこの家の中で嘘を塗り重ねていく怖さを感じていた。

予兆

 午前の会所は、いつもの列の匂いで満ちていた。湿ったコート、汗、紙の埃、粉の乾き。窓口の前では札が揺れ、怒声が飛び交い、泣き声が響く。そのすべてを鎮めるのが、地区会所の治安係の仕事だった。

 秩序は美徳ではない。秩序は単なる手順だ。机の端には、修復を発注済みのほつれた腕章が積まれていた。ほつれを直すための糸が足りず仕立て屋へ回せずにいた。

 廊下では、配給の袋を抱えた女が係に詰め寄っていた。子の手を引いたまま泣き声を堪えている。別の男は、通報したのに巡回の対応が遅かったと声を荒げる。荒げた声は、自分の空腹を正義に変えるための声だ。正義に変えなければ、ただの空腹のまま耐えねばならない。

 窓口では、札の折り目を巡って揉めていた。ドゥルマは窓口の係に目配せし、目立たぬよう、別の机へ誘導させる。ドゥルマは人々の荒げた声を受け流さず、正面から受け止める。けして怒鳴り返すことはしない。説教もしない。ただ、相手の札と目を同じ高さに置き、手順だけを示すのだ。

 ドゥルマは机の上の書類を指で押さえて確認しながら名前に印を付ると、紙の束を指で揃え、印を押す位置を確かめた。印が少しずれるだけで、配給が止まる。配給が止まれば、列が暴れだすだろう。

 そのとき背後で笑い声が聞こえた。笑いは低く、廊下を滑るように近づいてくる。それがラクロワの笑いであることは、すぐに聞き分けがつく。彼の笑いは刃の柄を叩く音に似ている。誰かの正しさを、別の正しさで切る前触れの音だ。

「聞いたか。回廊に、育ちの良い下働きがいるそうだ」

 同僚が顔を上げ、興味あり気にラクロワを見た。

「列で婆さんを先に通してやったそうだ。しかも黙って。格好つけたかっただけなんだろうがね」

 ラクロワは馬鹿にしたように笑いを浮かべ、しかし、目の奥からは鋭い光を放ちながら続ける。

「女の手袋を拾ってやったとも言う」

 ラクロワはドゥルマの隣に歩み寄り、紙束の端を揃える仕草を真似た。そしてラクロワの視線が、机の端に置かれた腕章の束へ向けられた。

「どこの店だ」
 
「仕立て屋。回廊の奥の。親方はルノーだったか」

「まさか、育ちの良い下働きがいる仕立て屋じゃないだろうな」

 ラクロワは机に肘をつき、薄笑いを浮かべる。

「品の良さってのは、平等の敵だからな。そういうヤツはたいてい隠し事をする。ドゥルマ、お前はどうだ。秩序の男は、育ちの匂いに敏感ではないのか」

 答えを求めているのではない。ドゥルマの反応を測ろうとしている。ラクロワのような男は正義と言う秤を持たせると妙に喜ぶものだ。ドゥルマは彼に感情を見せないように言葉を喉の奥のほうに飲み込む。いらぬ言葉を与えないことが、最も安全な策であるとわかっていた。

 ドゥルマは黙って帳面を開き、筆を走らせた。

―ー回廊、仕立て屋、育ちの良い下働き。

 書いたのは告発ではない。ただの備忘録だ。だがこの備忘録に記された点と点がやがて1本の線となり、新たな不幸が生まれるのが会所という場所でもあった。積もり積もった紙は、いつか山になり、山の頂から誰かが落ちる。ドゥルマは筆を動かしながら頭の中で繰り返す。回廊、仕立て屋、育ちの良い下働き。そしてーー 娘の手袋、縫い目。

 見えない秤の皿が、胸の内でわずかに軋む音が聞こえていた。まだ、傾いたわけではない。傾きそうだと告げる音だ。その音を聞き取った者だけが、その先をいかようにも変えることができる。引き返すのか、それとも、先に刃を抜くのか。

父としての手順

 午後、列の切れ目を縫い合わせるように仕事を片づけたあと、ドゥルマはコートを着替えた。委員のコートではない茶色の飾り気のない地味なコートだ。彼は回廊へ向かっていた。わざと遠回りになる裏通りを選び、目立たないように、会所の人間だとわからないように、足早に。ひとたび会所の人間だと気づかれれば、噂は一瞬にして回廊を巡り、その噂は会所へと戻ってくるからだ。

 橋のたもとで御者が馬の首を撫で、荷車が門へ吸い込まれていく。門番は鋭い目で行き交う人間を追っている。胸の三色章は外し、近い地味なコートを羽織ってはいても、身体の線が会所の人間だと語ってしまう怖さを抱えたまま、ドゥルマは回廊の門へと近づいていく。

 彼は誰かを捕まえに行くのではない。娘の周りに伸びた糸を、誰の指が握っているのか。噂の糸がどこで結ばれ、どこで売られているのか。それだけを確かめるために行くのだ。確かめたところで、それは切れない糸かも知れない。切ろうとすれば刃を手にしなければならないかも知れない。刃を使えば、また別の刃がどこかで振り下ろされることになるだろう。

 回廊の入口は、人の出入りが激しい。商いの声は賑やかで人々は活気に満ちている。回廊の角には小さな酒場があり、昼間でも戸が半分開いていた。杯の縁が触れ合う音が外へ漏れ、笑い声が響いている。戸口の影では、若い男が小声で仲間に何かを言っていた。言い終えたあと、彼は肩で笑う。

 ドゥルマは回廊の外れの柱の影を選び、足を止めた。胸に三色章はついていない。委員のコートも着ていない。冷たい風が直接肌に触れるような感覚は、自分があたかも別の身分になったような錯覚を起こす。錯覚は判断を鈍らせる。彼は深呼吸をして、目の動かし方を仕事の“手順”に戻した。

 まず入口。次に門へ向かう道。次に酒場の戸。最後に仕立て屋の戸口。人の流れは糸だ。糸は太いところほど切れにくい。太いところほど、誰かが握っている。握っている指を見つければ、噂の根が見えるはずだ。定期的にやってくる会所の巡回の動きにも注意を払いながら、辺りを見渡す。

 店先を眺めるふりをして、人々の動きだけを拾う。誰が誰に包みを渡し、誰がどこで立ち止まるか。誰が視線を逸らし、誰が視線を追うか。仕立て屋の戸口が見えた。戸は半分だけ開き、内側の灯りが布の色を淡く照らしている。行き交う人々が店の前を通る度に見えたり消えたりする店先は、秤の針のように揺れていた。揺れの角度で、店の内側の緊張まで透けて見える気がする。

 先に外へ出てきたのは弟子らしい若い男だった。糸の束を抱え、目が落ち着かず、周囲を確かめる癖があるようだ。何かを恐れている者の癖だ。若い男がドゥルマの横を通り過ぎると、すれ違いざまに酒の匂いが漂った。昼間から酒を食らう男は、噂を好む。ドゥルマはその男の背中を目で追いながら胸騒ぎを覚えていた。

 視線を仕立て屋の入り口に戻すと、店の奥から現れたのは背の高い青年だった。肩は痩せ、服装も質素だ。だが、立ち居振る舞いがやけに整っている。整いとは習慣だ。青年は客のコートを両手で受け取り、裾を指で払った。その仕事の手つきは、身に染みた丁寧さに見えた。足元に目をやると、靴は擦り減ってはいるが、奇麗に手入れがされている。磨く時間があるとは思えないが、まったく泥も残っていない。指先の爪も短く整っている。

 ドゥルマの胸の内で、秤の針が一震えた。震えは疑念の形を取って表れる。疑念はけして刃そのものではない。だが刃を呼ぶものだ。青年は布を畳み、端を揃え、針山へ手を伸ばした。青年の指は、布の表だけでなく裏の癖まで知っているようだった。縫い目の始末を隠す指の動きが、野暮ったさを拒む。拒むのは貧しさではない。貧しさを隠す癖が、もっと古い何かに由来している。

 客が去ると、青年は机の端に落ちた糸屑を拾い、指先で丸めて捨てた。次の客が入る。青年は同じ所作を繰り返す。ドゥルマには、その丁寧さが「癖」ではなく「素地」だと分かった。素地は取り繕えない。

 回廊の奥から、ひとりの女が出てきた。籠を抱え、歩幅は遅い。だが目だけはどこか鋭い。女は仕立て屋の店先を見渡して、青年のほうに一度だけ指先を向けると、何事もない顔で通り過ぎていった。確信ではない。ただ、ドゥルマには、それが“匂いを拾う目”に見えた。

 そのとき、回廊の石柱の陰には、似たような視線がもう一つあった。制服を着てはいないが、ドゥルマには、歩き方が会所の巡回のそれだとひと目でわかった。誰かが噂の糸を掴んでいる。掴んでいる者が一人なら避けられるかも知れないが、複数では避けることは難しいだろう。ドゥルマは石柱のその影と目が合わないよう、あえて買い物客の列に紛れ込んだ。

 青年は彼らの視線に気づいていたのか、気づいていても気づかないふりをしたのかは分からない。ドゥルマはその後も青年の手元だけを見続けた。顔を覚えるためではない。所作の綻びを探すためだ。綻びが見えれば、糸の端が見えるはずだ。糸の端が見えれば、娘の位置も見える。そうすれば娘を何とかして守るための、手順が組める。

 そのときだった。通りの向こう側を、若い女が一人、横切っていった。コートの襟を立て、歩幅を揃え、視線を落としている。娘ではないかと、彼は一瞬思った。髪の結い方と、手袋を押さえる癖が似ていたからだ。もし娘なら、なぜここにいるのか。もし娘でないなら、なぜ胸がこんなに痛むのか。

 痛みは判断を狂わせる。狂った判断は誰かの首を早める。彼は痛みを秤に乗せず、秤の外へ落とすように息を整えた。娘を守るのならば、娘の動きを止めたほうが早い。だが止める方法は、問い詰めるしかない。だが、問い詰めれば本当に終わるのか。ドゥルマは葛藤していた。そして、彼はそれ以上その若い女を追うことをしなかった。

 娘が何か大変なことに巻き込まれるかも知れない。その可能性が、見えない秤を少しだけ傾けていく。ドゥルマは自らの呼吸を整えるように小さく息を吐いた。吐いた息は回廊の空気に溶け、誰にも見えない。

 回廊から引き返す途中、回廊の中央で人だかりができていた。誰かが新しい掲示を読み上げ、周囲が頷くふりをする。頷きの数だけ、沈黙が厚くなる。厚い沈黙は安心を作るが、同時に息を苦しくする。ドゥルマはできるだけ目立たないように、ゆっくりとその横を通りすぎ、回廊の門を出た。

 門は境界だ。境界は人の人生の縫い目になる。縫い目は目立たないほど良いのかも知れない。だが、目立たない縫い目ほど、ほどけたときに一気に裂けるだろう。裂けるとき、誰かが「平等」と言いながら刃を振るう。刃が振るわれたあとには、もう秤を戻すことはできない。

 家へ帰れば、娘は何事もない顔をするだろう。何事もない顔の下で、目立たないように縫い目が増えていく。縫い目が増えれば布が強くなるのではない。ここでは、縫い目が増えるほど、布が重くなっていくだけだ。重くなった布は、ある日突然、肩から滑り落ちるだろう。ドゥルマはその日を想像して思わず唇をかみしめた。

 会所の鐘が遠くで鳴り、夕刻が近いと告げる。家が近づくと、窓に灯りが見えた。娘は先に戻っているようだった。彼は扉の前で立ち止まり、掌の中の秤を確かめる。今日傾いたのは、疑念ではなく予感だ。予感はまだ形を持ってはいない。彼は鍵を回し、音を立てずに扉を押した。沈黙が、また家の中へ広がる。

 台所では、娘が湯を沸かしていた。背中は真っすぐで、振り向く角度だけが慎重だ。慎重さが、父の問いより先に娘の胸を縛っている。

「お帰りなさい」

 声は穏やかだった。ドゥルマはいつものようにコートを椅子の背へ掛け、椅子に腰かけた。

 この夜、彼は娘に問いかけることはなかった。だが、家の灯りを落としたあとも、寝床の上で目を閉じると、回廊の賑わいが裏返って聞こえてくる。窓の外では、車輪の音が一度だけ跳ねた。夜明けの準備をする者の音だ。いまのドゥルマにとって夜明けは救いではない。夜明けは、昨日の噂が今日の紙になる刻だ。

 その刻に、娘がどこで息をしているか。彼は知らないふりをするしかない。知らないふりの上に、守るための手順だけを積んでゆく。彼はその刻が近いと、肌で感じていた。眠りに落ちた街の上で、噂だけが起きている。糸は切れず、結び目はさらに固くなる。夜明けが来れば、固くなった結び目が紙に刻まれる。誰も望まずに、止められずに。

 外の車輪の音が遠ざかり、代わりに鳥のさえずりが聞こえた。夜明けはまだ見えない。だが秤の針は、確かに動いている。その動きが止まるとき、誰かがこぼれ落ちる。

 夜は深い、そして息は浅いーー。 

【ブログ小説】見えない秤-夜明けのパレ・ロワイヤル│第2部 刃(やいば)の手順 第6章 仕立て屋の噂】の更新予定は2/17です。

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