【ブログ小説】やさしさの淹れ方-ロンドンの小さな珈琲店が見守った、英国の長い季節の物語│第9章 帝国戦争の煙

この物語は、作者(Viara)がアイデアと設定を考え、AIにより作成したプロットを基に、作者とAIが協働して執筆しています。
 ※無断使用・転載は固くお断りいたします。

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全体のあらすじ

開く

 1932年、不況と不穏な空気がロンドンの路地裏にも染み込むなか、小さな珈琲店は今日も変わらぬ静けさを保っている。

 寡黙な店主リックは、議論で勝たず、誰かを追い出さず、ただ湯気と間合いで人の呼吸を整える。常連たちが抱える失業や怒り、上流の客が持ち込む“外では言えない用件”、そして“黒い言葉”が忍び寄る気配。

 そこへ通うクレアは、祖父が遺した癖や言葉を手掛かりに、店に漂う不思議な信用の理由へ少しずつ近づいていく。

 やがて明かされるのは、誰かを裁くための真実ではなく、沈黙が守ってきた日々の手順。階級や時代の裂け目のそばで、同じ一杯がそっと差し出される。

そんな“やさしさ”の物語。

主な登場人物

開く

リック・エヴァンス
ロンドンの路地裏で小さな珈琲店を営む高齢の店主。丁寧すぎる所作の奥に、語らずに生きてきた過去がにじむ。

クレア・コックス
リックの店に通う常連客で、落ち着いた観察眼を持つ女性。

メイベル・エヴァンス
リックの妻であり、店の土台を作った共同創設者。

▪ランドルフ・コックス
ヨークシャ地方にある地主の屋敷で執事を務める。

▪アーロン・ディクソン
ランドルフの知人で、ロンドンの資産家

前回のストーリー

第3部 店が交差点になる

第9章 帝国戦争の煙

煤の朝に届く、遠い戦争の匂い

 朝の路地は、煤が低く溜まっていた。石畳の隙間に湿りが残り、煙だけが逃げ場を失っている。煙の層の上を、馬車が鈍い音をたてて通り過ぎる。少し離れた高架の下では、汽車が唸り、黒い息を吐いた。その息が街を渡り、ここへ落ちてくる。遠いものほど、逃げ場がない。
 
 煙は工場からも漂って来る。だがこの界隈では、家の中の暖炉からも淀んだ煙が出る。石炭を節約すれば寒さが沁みるし、節約しなければ金が消える。どちらに転んでも、胸は軽くならない。

 角の教会の掲示板には、炊き出しの時間と、失業者向けの相談窓口の紙が並んでいた。紙の端が湿りで反り、釘の頭だけが妙に白くなっている。誰かのための救いが増えるほど、誰かの誇りが擦れていく。

 路地裏の珈琲店では、いつものように入口に近い場所にはクレアが座り、静かに手帳を見ている。カウンターでは常連のトムが今日も新聞を広げて浮かない顔をしていた。黒いインクで埋め尽くされた紙面を指で叩く。紙の上の文字は、路地よりもうんと遠い場所へ読者を連れて行くが、連れて行かれるのは目だけだ。体は凍えた石畳に縛られている。

「南アフリカがどうこう…って」

 トムが口を開くと、別の常連客が、鼻を鳴らすように息を吐いた。

「古い話じゃないか」

 彼の袖口は擦り切れ、火の粉の穴が小さく並ぶ。失業の恐れを抱いている人間ほど、帝国の話をたいそう嫌う。国の大きさを語る余裕が、彼らの腹の中にはないからだ。トムが言う。

「今でも勲章の話をする連中がいるってのが、なんとも滑稽な話だ」

「勲章を胸にぶら下げりゃ、生活が楽になるってのか」

 男は鼻で笑った。だが笑うには、口の中が乾きすぎていた。乾きは、石炭の煙と同じくらい、生活の匂いだ。リックは黙ったまま、沸かした湯をドリッパーに注いだ。湯気は煤煙よりゆっくりと立ち上っていた。

 窓の内側が薄く曇り、外の灰色がぼやけて見える。曇りは薄い膜だ。外の世界と、ここを隔てていた。そのとき、扉が開いた。外の冷たい空気が店内に流れ込み、ポットの湯気が揺れた。入ってきた男は50代の半ばに見えた。コートはくたびれているのに、襟だけは整っている。誇りが残る場所を、今もまだ知っていると分かる男だった。

 男は入った直後に、咳をひとつ噛み殺した。噛み殺した音が、喉の奥で乾いて弾ける。呼吸が浅い。胸の奥に乾いた咳を抱え、咳を外へ出す前に飲み込む癖があるようだった。上着の内側に、小さな金属の影が見える。隠しきれない重さが、布をわずかに引っぱっていた。

 男は壁際の席を選んで座った。

「濃いのを」

 男はカウンターのリックに、砂糖はいらないと、目だけで示した。リックは、カップを温め直し熱い珈琲を注いで差し出す。そのとき、クレアが手元の手帳から視線を上げた。彼女は一度だけ男の胸元を見て、すぐに目線を戻す。見るべきものと、見ないふりをすべきものの境を知っている。

 そして常連客たちも、すぐに、彼の胸元にチラリと見える小さな金属に気づいた。その男は恐らく退役軍人だった。だが、気づかないふりをした。気づくことは刃になる。ふりをすることは鎧になる。鎧は優しさにも冷たさにもなるが、この店では、まずみなが場を守る。

 ほどなくすると、若い男が遅れて入ってきた。髪は整えているが、靴の踵が痩せている。職を探している者の歩き方だった。新聞を握り、紙の角が折れるほど力が入っている。彼は空席を見回し、壁際を避けるように中央の席に座った。前へ出ないと、自分が消える気がする年頃だ。

 若い男は、新聞の見出しを指でなぞった。指先は黒いインクに染まり、すぐに擦って落とそうとするが、なかなか落ちない。

「この国は、もっと強くならないと。外国が騒ぐならば、国はひとつになるべきだ。そう思わないか?」

 言葉は熱かった。熱は、寒い腹から立ち上がる。自分が弱いと知っているとき、人は強さの旗を欲しがる。薄っぺらい布だとしても、胸に巻きつければ、鎧の代わりにもなる。トムが言った。

「強いってのは、石炭があるってことか? そりゃ、腹が満ちてる奴の言葉だな」

 若い男は反発しかける。だが反発の底には生活の焦りがあった。焦りは若い男の声量を上げていく。若い男は、言い直すように続けた。

「誰かが守らなきゃならない。守られっぱなしじゃ、みっともないじゃないか」

 みっともないという言葉は彼自身を刺していた。自分に刺さるからこそ、言った分だけ多少は鎧が硬くなる気がした。退役軍人らしき中年の男はじっと黙っていた。彼はカップの縁に両手を添えって、その熱さだけを確かめている。熱さがが感じられるうちは、生きていられる、とでも言いたそうな仕草だった。

「この国にも英雄が必要だってことさ。いや……」

 若い男は、英雄の必要性を語ろうとして、止めた。それでも目は、どこか遠くを見ている。遠さは、恐らく英国旗の向こう側にある。リックは手に持っていたカップを置いた。音を小さく鳴らし、空気に区切りを入れる。止めはしないが、暴走しそうな言葉たちを半歩遅らせる。すると、クレアが静かに問いかける。

「煙は、どこから来るのでしょうね」

「外からでも、胸の奥からでも」

 リックが言葉を返すと、真ん中に座る若い男の肩が、わずかに下がる。正しさの鎧が少し緩んだ合図だった。彼の胸に冷えた空気がひと筋入り込む。冷えた空気が入れば、言葉は自然と慎重になる。慎重になれるうちは、まだ戻れる。

 退役軍人らしき男の表情は変わらなかった。否定することもない。カップの縁にじっと手を添えたまま、熱さを確かめているだけだ。そして彼は、短く息を吐き、煤の匂いを受け止めるように喉を鳴らした。それが咳にならないよう、ぎりぎりで止める。

 そんな彼の様子を眺めながら、リックの心の内側で、遠くに古い記憶の匂いが漂っていた。退役軍人らしき男のの胸元から覗く古いリボンの色が、布の擦れた光沢が、リックの記憶の扉をたたく。湯気の匂いが、次第に古い紙煙草と石炭の匂いにすり替わり、窓の煤が遠い乾いた埃へ重なる。いつしか視界が、若い店の色へ沈んでいった。

甘い標語は生活に灰を残す

 新聞には、大きな見出しが踊っていた。

ーー帝国のため

ーーすぐに戦争は終わる

ーー勝利は我が帝国にあり

 甘い言葉が、砂糖の白さのごとく目を眩ませる。路地裏の小さなこの珈琲店の入り口にも、民兵への志願を勧める紙が貼られた。薄っぺらい紙には、国民を鼓舞する強い言葉が並んでいた。通りには楽隊の音が流れ、英国旗が揺れる。誇りに満ちた英国旗の揺れは、人々の貧しさを隠しているようだった。

 店の客のひとりが立ち上った。まだ20歳にも届かない幼い顔に、男としての証明を貼り付けようとしている。貧しさからの出口をそこに見出だしているようにも見えた。志願者の家族には手当が与えられるからだ。出口は険しく細いほど、光って見えるものだ。

 恋人が隣に座っていたが、彼女は彼を止めようとしない。止めても無駄だと知っている目だった。泣きもしない。泣けば彼の誇りに泥を塗ってしまうと信じている目だ。周囲の客が言う。

「帝国のためだ」

「おまえの名誉になる」

「すぐに終わるさ」

 言う側もけして悪人ではない。自分の息を守るために、名誉という旗を掲げているだけだ。メイベルは、黙って彼の手袋の指先を整え、胸のボタンを留めた。

「寒いから、首をちゃんと巻いて」

 彼がここから出ていったあとも、少しでも体温を残せるようにという、メイベルの精一杯の言葉だった。

 志願兵は笑顔でメイベルに言った。

「大丈夫。帝国は勝利し、すぐに戻ってきます」

 恐れを隠す笑顔だった。今の彼には、それが真実であると思い込めるような、甘い言葉が必要だったのだ。リックは淹れたての珈琲カップを差し出し、彼に温かさを手渡す。この先の結果よりも、出ていこうとする人間の体温を守るためにリックは若い男にこう言った。

「帰ってきたら、また一杯」

 それが、帰ってきてくれ、というリックなりの約束だった。

 だが、戦争はすぐには終わらなかった。季節がひとつ回ると、新聞の見出しの文字はひとまわり小さくなった。勝つに決まっているという確信が、細い行間へ引っ込む代わりに、遅れる手当の話題が増えていく。やがて、出征兵たちから届いていた、家族への手紙も届かない日が増えていった。

 珈琲店にも、南アフリカの土埃の匂いが混じり始めた。便箋に染みた煙草と汗の匂いだ。読めばそこへ行った気になる。行った気になるほど、恐れが増える。志願兵の母親が店にやって来た。背筋をぴんと伸ばした、不安そうな素振りはしない。不安が見えないほど、周囲は勝手に正しさを押し付ける。

「息子さんの名誉のためよ。帝国のためだもの、我慢しなくちゃね」

 路地裏に住む近所の女が言った。母親は頷く。無理してでも頷かなければ、息子の顔も、自分の顔も潰れる。名誉が奪われることは金を失うことより辛い。頷きながら、母親は指先でカップを強く握った。しばらくすると父親もやって来る。父親が店に顔を出すのは決まって夜だった。昼は働き口を探し、夜はいつも疲れきっている。沈黙の中に、答えのない問いが渦を巻く。

ーーなぜ。

ーーいつまで。

 役所から届いた手当の申請書を見せながら、父親は笑った。その笑いは乾いている。

「読むのが先か、腹が減るのが先か」

 笑いの中に、自分への苛立ちが混じる。苛立ちを妻へ向けたくないから、紙へ向かう。店の隅で、別の客が小声で言った。

「勝ってるんだろう? なら、なんでこんなに長く戦争が続いているんだ」

 誰も答えない。何かを答えれば、自分の胸の穴が透けて見えてしまう。人々にとって沈黙が鎧になっていた。帝国は人々に誇りを叫ばせる。人々は家の火が足りない日は、誇りを燃やす。誇りは燃え盛っても、家の中はいっこうに暖かくはならない。煙が残るだけだった。

 ようやく終戦の噂が広がった頃、若い志願兵が戻って来た。身体はある。だがあの頃の彼の目ではない。あの頃と同じ目をした青年は、もういない。周囲は彼を英雄として迎えようとした。

 甘い言葉が青年の上に降る。だが彼は、それをとても嫌がった。嫌がる理由は説明しない。説明をすれば、また誰かが正しさを掲げることがわかっていたからだ。誰かが掲げた正しさは、彼の胸をさらに苦しみへと追いやっていく。

 路地裏の小さな珈琲店で、恋人と再会したが青年は、別人のように変わってしまっていた。恋人は彼に駆け寄り、言葉を探したが見つからない。メイベルは青年の前に一杯の熱い珈琲を置いた。そして、砂糖壺を近くに添えた。黙ったまま砂糖壺に手を伸ばし、ひとさじすくう青年の指が震えている。

 彼はその震えに気付かれまいとして、素早くカップに運ぶと、軽くかきまぜた後ひと口飲み、咳をした。乾いた音が店に響く。火薬の煙が肺に残っている証拠だ。勝ったか負けたかよりも、彼の体に残ったもののほうが重い。

 青年の上着の内側からは、リボンの切れ端が覗いていた。勲章を留めるための布だ。こんな小さな布では、とうてい支えきれないほどの重い責任を背負わされる。彼は布を軽く触り、すぐに手を引っ込めた。メイベルは何も言わず、ただ、静かにテーブルの端を布巾で撫でていた。
 
 戦争は人を強くするのではない。強いふりを覚えさせるだけだ。リックは青年を見ながら、そう感じていた。

息を取り戻す場所

 店内には、あの時と同じ湯気の匂いが漂っている。退役軍人らしき客は、まだ壁際の席に座っていた。

「英雄が必要だって……?」

 若い男の言葉の続きを、退役軍人が静かに切った。大声ではない。それでも店内に静寂をもたらす声だった。

「英雄は、いづれ、帰り道を失うんだ」

 若い男は、退役軍人らしきその男の言葉を、すぐには受け入れられない様子で視線を下げ、爪先で床の煤をこすった。

「じゃあ、どうすればいいんだ?」

 退役軍人らしき男はすぐには答えない。彼はそっとカップを持ち上げ、わずかに口を付けた。珈琲の熱が喉を通り、目が一瞬だけ細くなる。

「息をしろ」

 彼の返事は、それだけだった。命令でも、説教でもない。長い戦争で生き残った者の、最低限の助言だった。リックは黙って、若い男の前に新しいカップを置いた。誰も反論できない。だが心の中では誰も折れてもいない。折れないことが、生活の鎧だからだ。折れたら、次の朝に起き上がれない。

 クレアが一度だけ息を吐いた。分かり合うとは一致ではない。相手が抱えている思いを想像することだ。彼女の呼吸が、そう言っていた。少しの静けさの後、また一人の男が入ってきた。男のコートは仕立てが良く汚れはない。彼は、すぐに店を出るつもりなのか、入口近くに立ったまま注文した。

「薄めで。砂糖も添えて」

 その口調はまるで紳士だった。路地の煤は似合わない人間の声。壁際で沈黙する退役軍人らしき男と、その紳士の口調の温度差が、店の空気を切り裂く。紳士は、ふいに中央に座る若い男に目線を落とした。

「いい目つきをしている。これからは、君たちが国を支えるんだ」

 若い男は力強く頷いた。だが、頷き方は硬い。その硬さは彼の精一杯の鎧のように見えた。着込んだ鎧を褒められると、人はその鎧を脱ぐことを恐れ、脱げなくなってしまう。紳士は出された珈琲を、カウンターの前で立ったまま飲み干し、帽子の縁を軽く上げて去っって行った。挨拶の角度が美しい。美しさはときに刃になる。リックは自らの習慣を改めて意識しながら、カップを拭く手を止めなかった。

 会計をしようと、退役軍人らしき男は胸元に指を入れ、無意識に何かを押し込んだ。それが戦争で受けた勲章なのか、リボンなのかは分からなかったが、小さな金属が布の奥で音もなく沈む。クレアが言った。

「胸にあるより、重いものもありますね」

 男は否定しない。ただ、肯定もしなかった。立ち上がる拍子に、上着の内側で小さな金属が擦れる。布の端がほつれ、ほんの短い繊維が落ちた。彼の背中はまっすぐではない。だが崩れてもいない。壁際で守った背中が、扉へ向かうときだけ少し広がる。扉の外の煤を吸う準備を、その背中はしているようだった。

 閉店後、リックは椅子の下に小さな布の切れ端を見つけた。擦れた色。古いリボンの端だった。指でつまむと、重さはないのに、胸の奥が重くなる。棚の奥の帳面を引き出した。だが開くことはない。それでも彼は背表紙を撫で、ページの厚みを覚えている場所へ指を滑らせた。

 リックの耳の奥には、今日の若い男の声が残っていた。この時代を生きて行くには何かしらの鎧は必要だ。だが、その鎧を褒められると人は、次の煙を呼びこむ準備を始める。リックは帳面がきちんと閉じていることを指で確かめ、また、棚に戻した。

 その夜、彼は一度だけ窓を開け、店に夜の空気を入れた。まだ冷えていないポットの湯気を散らし、代わりに煤の匂いが入り込む。窓を閉めても匂いは残る。煙は外からでも、胸の奥からでも来る。そして、いったん入ったものは、出ていくのに時間がかかる。

 遠い海の出来事は、遠いままでは終わらない。紙と噂と誇りを通って、路地の暮らしの肺に沈む。今夜も匂いは消えない。消えない匂いが、明日の言葉を変えていく。たとえ煙が消えようとも、肺の中でその煙は漂い続ける。

 ならば、人は何で息を取り戻せば良いのかーー。

やさしさの淹れ方-ロンドンの小さな珈琲店が見守った、英国の長い季節の物語│第4部 正しさの値段 第10章 税の喧嘩】の更新予定は3/5です。

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