【宝塚】プリンス・オブ・ウェールズとボー・ブランメル │ 華麗なる友情とその行方

雪組公演『ボー・ブランメル~美しすぎた男~』の主な配役と、ポスターが発表されました。

瀬央ゆりあファンとしましては、プリンス・オブ・ウェールズ 、、、ちょっとした衝撃でございます。(笑)

だって、彼 、、、

こんなイメージが強すぎて、いくらお洒落さんだったとはいえ、いくらブランメルにとって重要人物だったとはいえ、、、ねぇ。(笑)

だからてっきり、なおちゃん(瀬央ゆりあ)は、ブランメルが落ちぶれてからも最後まで見捨てず彼を支え続けた友人、ロード・アルヴァンリー(Lord Alvanley)だと思い込んでいました。

えぇ、勝手に思い込んでいただけなんですけど。

でも波線上のプリンス・オブ・ウェールズ、ポスターIN!

甘んじて受け入れることにします。(笑)

ならば、プリンス側から深掘りしてみようじゃないか!ということで、予習です。

はじめに

18世紀末から19世紀初頭のロンドン社交界は、華美と退廃、そして新しいエレガンスが入り混じる舞台でした。

その中心にいたのが、イギリス王太子プリンス・オブ・ウェールズ(のちのジョージ4世)と、ファッションと礼儀作法の革新者ボー・ブランメルです。

二人の出会いは偶然ではなく、時代の要請が引き寄せた必然でもありました。

王太子の人生を軸にたどることで、彼らの友情と緊張、そして破局の物語がより立体的に見えてきます。

若きプリンス・オブ・ウェールズの生い立ち

ジョージ・オーガスタス・フレデリック(のちのジョージ4世)は1762年に生まれ、ジョージ3世の長男として「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授かりました。

生来の社交性と華やかな趣味を持ちながらも、政治的には父王と対立することが多く、若年期から快楽と贅沢に傾倒していきます。

狩猟や音楽、演劇への関心に加え、外見の美学への執着も強く、のちに「華麗なる王」と呼ばれる片鱗をこの頃から早くも見せていたといいます。

しかし、その奔放な生活は国王からの叱責を招き、王宮内では孤立する場面も多々ありました。

そうしたとき、彼を支えたのは宮廷外の交友関係であり、その中にボー・ブランメルが現れるのです。

ブランメルとの出会い

ボー・ブランメル(1778-1840)は、貴族ではなく軍人の家系に生まれましたが、卓越したファッションセンスと会話術によってロンドン社交界に頭角を現した男。

彼がドラマティックに表舞台に立ったのは、プリンス・オブ・ウェールズとの出会いにほかなりません。

ある夜会でブランメルは、従来の華美な装飾ではなく、シンプルかつ洗練されたドレスコードをまとって登場しました。

その清潔感と控えめな上品さは、豪奢な衣装に飽きつつあったプリンスの美的感覚に見事に響きました。

以後、二人は急速に親交を深め、プリンスはブランメルを「ファッションの審判者」として絶大な信頼を寄せるようになります。

宮廷と社交界を結ぶパートナーシップ

とはいえ、プリンス・オブ・ウェールズにとってブランメルは、単なる衣装アドバイザーではありません。

ブランメルは王太子が宮廷で築けなかった「自由で気さくな人間関係」を、社交界で提供する存在だったのです。

ブランメルの冷静で機知に富んだ会話は、政治的重圧に苦しむプリンスにとって癒しでもあり、また社交界における「自分の美学」を体現する代理人でもありました。

ブランメルは「クリーンなリネン」「完璧なフィット感」「抑制された色使い」というスタイルを定着させ、やがて“ダンディズム”の象徴となります。

この価値観はプリンス自身の外見や振る舞いにも取り入れられ、のちの「リージェンシー様式」にも影響を与えました。

権力者としてのプリンスと、傍らのブランメル

1800年代初頭、プリンス・オブ・ウェールズは父ジョージ3世の精神疾患により摂政(Prince Regent)となり、実質的に王国を統治することになります。

華麗なカールトン・ハウス(摂政宮)を舞台に繰り広げられた饗宴や舞踏会は、その華やかさでヨーロッパ中の話題となりました。

この華やかな場で重要な役割を果たしたのが、ブランメルの存在です。

彼は「誰を招き、どのように装うべきか」を指南し、カールトン・ハウスをファッションと礼儀作法の最高峰へと導いていくのです。

社交界の誰もが「ブランメルに認められるかどうか」を気にするほど、その影響力は絶大でした。

友情の陰に潜む緊張

しかし、二人の関係は決して安定したものではありませんでした。

プリンスは王位継承者としての威厳を求められる一方、ブランメルはあくまで市民出身の「ダンディ」にすぎません。

親密さの裏には、常に微妙な上下関係とライバル意識が存在しました。

ある晩餐会で、プリンスが軽い冗談でブランメルをからかったところ、彼は毅然とした態度で「ブルックス卿、あの肥った紳士はどなたです?」と切り返したと伝えられます。

この一言は、王太子の体型を揶揄するものであり、王族への冒涜ともとられました。

そして、この事件は二人の関係を決定的に冷え込ませ、以後ブランメルは徐々に王宮から遠ざけられていくことになりました。

関係性の破綻とその後

やがてブランメルは多額の借金を抱え、最終的にはフランスへ逃亡します。

一方のプリンス・オブ・ウェールズは1820年に国王ジョージ4世として即位しました。

即位後も贅沢と享楽にふけっていたことから政治的には不人気で、彼の治世は「浪費王」の烙印を押されてしまいます。

国王となったジョージ4世が、かつての親友でありファッションの師であったブランメルについて、ほとんど語ることはなかったといいます。

それでも、ジョージ4世の華美な生活様式や社交へのこだわりには、若き日に受けたブランメルの影響が色濃く残っていました。

二人の関係が示すもの

プリンス・オブ・ウェールズとブランメルの関係は、王権と市民社会、権力とファッション、美と政治といった多様な要素が交錯する象徴的な物語です。

友情でありながら、微妙な上下関係と自尊心のぶつかり合いがあり、そして最後には破局を迎える。

そこには「時代が生んだ絆の限界」が刻まれていると言えるでしょう。

プリンス・オブ・ウェールズ(ジョージ4世)の人生を軸に振り返ると、ブランメルとの出会いと関係性は単なる社交界の逸話にとどまりません。

王太子はブランメルを通じて「美と洗練」という新しい価値観を取り込み、それがのちのヨーロッパ文化に大きな影響を与えました。

一方で、権力者としてのプライドと、ダンディとしての自負が衝突したとき、二人の友情はもろくも崩れ去りました。

それでも、二人が織り成した華麗なる時代は「リージェンシー文化」として歴史に刻まれ、現代に至るまでダンディズムや王室文化を語る上で欠かせない一章となっています。

次回に続く

ここまでにしておこうと思いましたが、調べれば調べるほど書きたいことが出てくる。(笑)

なので、次回も『ボー・ブランメル~美しすぎた男~』プリンス・オブ・ウェールズのサイドから語る、の続編をお届けします。

イギリスの物語というだけでもワクワクなのに、フランク・ワイルドホーン氏の音楽が加わり、もう、楽しみすぎます!

しかも、次回の記事で紹介しますが、、、

星組のお正月公演『恋する天動説-The Wand'rin' Stars-』の舞台になっているブライトンにも、ちょっとだけ繋がりがあるんですよ。

いや~楽し過ぎる♡

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